MiwaOkazaki

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(MiwaOkazaki)
利用開始日: 2017/11/18

<月と私>
アポロ13号が打ち上がった1970年、私は横浜に生を受けました。「月面着陸ベイビー」です。

<美葉という名>
生まれたのは8月。母は産院の窓から見えた木の葉の美しさから「美葉」と名付けたそうです。葉月だったことに気付いたのは後からだとか・・・この名前のおかげで、幼い頃は「ミーハー」とあだ名され、編集者・ライター・翻訳家時代は「美しい言葉の葉です」とドヤり、ハーブに関わる仕事に関わるようになってからは「ハーブ(葉)の妖精です」と言ってのけてきました。

<スピリチュアルな子供時代>
学生時代はずっと優等生。家では良い娘。一人の世界ではスピリチュアルな子供でした。実家が山間部にあり、片道一時間のバス通学も空想癖に拍車をかけました。大量の葉を石で潰して母に「今日からこれが我が家のお茶ということで」と言ってみたり、50枚に及ぶ紙芝居の大作を作ったり(タイトルは『7人姉妹殺人事件』)、一心不乱に祈って雨を降らせたり(本当に降った)。一方で、テレビで時代劇と刑事ものを見るのが大好きなオタク性もありました。

将来の夢は「晴耕雨読」でした。農家に嫁ぎ、晴れた日は野菜を作って、雨の日は小説家になると決めていました。変わった子だったと思います。

<東京と私>
愛知県という土地が苦手でした。管理教育、閉鎖性・・・小学校の時から、大学で東京に出ることを決めていました。進学校に入って推薦を取り、晴れて上京しましたが、その時すでに燃え尽きておりました。大学生活が何一つ楽しくなくなり、必要単位だけ取りながら、ひたすらアルバイトをして旅行をしていました。

バブル崩壊直後の就職。幸い出版社に就職でき、編集というクリエイティブな仕事に胸が踊る毎日でした。しかし半年後、先輩のアドバイスによりアトピー性皮膚炎の治療のために使っていたステロイド剤の使用を止めたところ、リバウンドというひどい症状が出て、1年半に及ぶ闘病を経験しました。結局復職は叶わず、フリーとして働くことになりました。

<海外生活と離婚>
数年して、商社員の前夫とポーランドに渡りました。140平米のガードマン付きマンション、お手伝いさんがいて、年に3回旅行して・・・プチセレブな日々でしたが、日本人社会でのいじめ、出産したことなどでうつ状態となり、アトピーも再発してしまい、帰国。そして離婚ということになってしまいました。

1年後に再婚し、リフレクソロジストの夫の元、自宅サロンで自然食ランチを年間300回振る舞ううちに、サロンは年間8桁を売り上げるようになりました。しかしまさかのDVを受け…人生に於いてありえない「離婚」を二度もすることになりました。

アトピーという自らに宿痾を責めました。
治せない、治らない自分を責めました。
親も責めました。
夫達も責めました。

何リットルもの涙と眠れない夜の果てに私にもたらされた恩恵は

どんな自分を受け入れること。
自分を無条件で愛することでした。

自分を大切にするというベースがなければ、人は大切にはできないと気づいたのです。

罪悪感で生きるのを止めました。

その上で考えました。

一番大切なことは何か。

それは息子を社会にお返しするまでしっかり育てるということ。

ゴールを決めて、自分自身を再構築し始めました。

この時の思考と決心と行動が、のちのデトックスセラピーのセッションのベースになりました。

<心と向き合う>
そこからコーチングやカウンセリングを学び、少しづつ心が癒されました。さらに。セッションで人様に提供するようになりました。

<デトックスとの出会い>
なかなか治らないアトピーへの答えも出ました。ハーブデトックスと出会い、アトピーが完治したのです。

足すのではなく引き算で考える「デトックス」。
これを伝えることが自分の使命だと直感しました。

自分の一番の願いだった健康を実現してくれたデトックスを必要な人に届けるべく、デトックスコーチとして活動を始めたところ、ご紹介のみで年間100名以上のデトックスをサポート。コーチングとカウンセリングを取り入れた「心のデトックスセラピー」のセッションもご好評をいただくようになりました。

現在はデトックスライフデザイナーを育成中。

心も体も「毒を入れない、入った毒は出す」をモットーに、美しく健康な人、そして美しく健康な人を育てられる人を増やす活動を展開しています。

主催イベントはありません。

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